あの日から10年。

あの日から10年。

あらためて、震災の被害に遭われた方に深くお見舞い申し上げます。
また、これまで震災復興に取り組まれたすべての方に感謝申し上げます。本当に有難うございます。

個人的にも、あの日は自分の生き方を大きく変えるものでした。

東北は私の故郷です。生まれてから大学卒業まで、東北で暮らしました。
今も大好きですし、これからも愛する故郷であることに変わりありません。

仙台港や塩竈・松島、三陸の海は、よく遊びに行きました。
津波の被害が大きかった名取市は、学生時代にアルバイトをしていたところ。お世話になった方もたくさんいます。
そこに津波が押し寄せてくる映像はあまりにショッキングで、今もまともに見ることができません。


10年前のあの日、私たちの鉄道網は未曽有の被害を受けました。
地震による損壊、津波による鉄路流出、原発事故による封鎖…。被災地東北をつなぐ新幹線は寸断されました。

私は当時、JR東日本の財務部という部署にいました。
財務というと、震災とは無縁のように思うかもしれませんが、実は「モノ」を担う部門でもあり、寸断された鉄道網の復旧に向けて支援物資や資材の調達に奔走しました。
実際に被災現場にも行き、折れ曲がって空中に浮かぶ線路や跡形もなく消え去った駅舎跡を目の前にして、呆然と立ち尽くしたこともありました。

鉄道運行に必要な資材を調達して現場に送り届ける…。その機能が震災により麻痺しました。
特に当時、調達に困難を極めたのは「油」でした。私たちは不眠不休で取引先との交渉を続け、物流を確保するために配送計画を練りましたが、現場が要求する油量を到底確保することはできません…。

十分な補給が果たせない状況に、社内ではときに怒号が飛び交いました。
それでも厳しい現状を詳らかに示すことで、少しずつ冷静になって、限られた油をどこに充てるかという優先順位付けの議論がされるようになりました。

一方で調達量も、粘り強い交渉が実って、少しずつながらも増えていきました。
上信越エリアの取引先や街のガソリンスタンド、JR他社からの支援も大変心強いものでした。JR西日本からは阪神大震災のときの御礼だと言われました。

思いも寄らぬ物資の不足も生じました。鉄道車両の直流電動機に使用する「カーボンブラシ」。
この部品が、メーカーの生産工場の被災により供給困難となりました。カーボンブラシは消耗品で、在庫も僅少なうえに、特殊な部品であるためなかなか代替が見つかりません。このままでは、首都圏や上信越エリアの列車運行も止めざるを得ない…。

このときは、海外を含めたサプライチェーンの再構築を急ぎました。懸命な新規調達先の開拓を進め、代替となる海外製品を見つけることが出来ました。
一方、目先の部品不足を乗り越えられたのは、現場社員の様々な工夫や改善によるものでした。交換周期の延伸や部品の節約など様々なアイデアが、現場第一線で生まれたのです。
「鉄道を止めない」。そんな鉄道員魂が、其処彼処に喚起していました。

財務部は、「モノ」だけでなく、もちろん「カネ」も扱います。
未曽有の事態に対応するため当面の資金手当てを行い、財務予算のいわば緊急事態を宣言。震災2日後には、被災支社等に予算の制約を考慮することなく、復旧・お客様対応を最優先するように通達。実質的に予算ルールを凍結しました。

復旧・復興のために、いちいち予算の伺いなど要らないと宣言したんですね。
そうしたら、最前線で復旧作業を指揮する現場の長からお礼の電話がありました。「これで皆をホテルに泊められる。シャワーを浴びせられる。ありがとう」。
お礼を言いたいのはこちらの方です…。嬉しい気持ちよりも申し訳ない気持ちで言葉に詰まりました。


震災発生から50日後。ついに東北新幹線が復旧しました。

その日は、2011年4月29日。
「ゴールデンウィークを故郷で過ごせるように」という思いから、数々の困難を乗り越えて迎えた日です。

そこには思いがけない光景がありました。
「おかえり、こまち」と声をあげ、手を振りながら秋田新幹線こまちを迎える人たちの姿…。
Twitterの一言をきっかけにして、趣旨に賛同したたくさんの方々が沿線に集まり、笑顔でこまちの1番列車を迎えてくれたのです。

この光景に救われた鉄道員(ぽっぽや)がどれだけいたことでしょう…。
ありがとう。こんなに待たせてごめんなさい。ただいま。これからもよろしくお願いします…。


あの日から10年。いま新たな脅威が、故郷との絆を分断しようとしています。

でも、負けない。
10年前だって、現場第一線の仲間たちと力を合わせて乗り越えることができたから。
それに今は、あの日をきっかけに立ち上がった新しい仲間がいます。東北を元気にしよう、日本を元気にしようと、思いっきり前のめり(≒前向き)で突き進む共創パートナーの皆さんが、私たちを後押ししてくれます。

だから、絶対に負けない。
故郷とのつながりを、旅の楽しみを、沿線の方々の笑顔が行き交う毎日を、必ず取り戻してみせる…。
あの日から10年経った今日。そんな風に新たな決意を胸に刻みました。

皆さん、これからもよろしくお願いします。

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